マレーシア王国の2回目です by「Oversea」
皆さんこんにちはhiroYamaDの「Oversea」です。
今回は、「【海外-マレーシア】マレーシアの歴史4 Malay Kingdoms (マレーシア王国)」をシェアします。
歴史上のトピックスや展示物の紹介を含めて解説していきます。
興味がありましたら是非ご覧ください。
Malay Kingdoms (マレーシア王国)
沈没船の発見
マラッカ海峡と南シナ海に沈んだ船は、その航路がかつて公益の主要航路だったことの確証となりました。
スパイス以外の当時の貿易に重要な商品には”織物”が含まれていました。
スパイスがインドやアラブ諸国、欧州などの人々にとても重要だったように、織物はインドや中国からマレー世界で大変高い需要がありました。
マラッカで取引されていたこの他のものとして鉄や金、スズ鉱石、、医薬品、香水、宝石、木靴、アヘン、装飾品、そして米や砂糖、お茶などの食料がありました。
交易用の貨幣
マラッカとその後の時代、海外交易で使用された古い貨幣の一部が展示されています。
イスラム教の始まり
当時のマレー半島やその周辺の島々ではヒンズー教が主要な宗教でした。
実際マラッカ王国を建国した国王パラメスワラもヒンズー教でしたが、彼の改宗により、イスラム教はマラッカの国教、そしてそのまま現在のマレーシアの国境になって行きました。
マラッカがイスラム教に改宗した要因には明の使者鄭和(ていわ)がイスラム教であったこと、パラメスワラがイスラム商人たちと出会ったことで影響を受けました。
イスラム教を受け入れた大きな要因は、マラッカがイスラム教を受け入れた大きな原因の一つにはアラブの商人たちをマラッカ港へひきつけることでした。
マラッカの統治者がイスラム教に改宗したことは、この国の歴史において大変重要な出来事でした。
このことは行政制度、文化、知識発展へ大きな影響を与えました。
当時マレー語が話されていましたが、文字がありませんでした。
イスラム教が入る事になりコーランが入ってくるとともにジャウィ文字が伝わりました。
(マレー語を表記するのに使われるアラビア文字)。
現在ではローマ字が採用されているが、ジャウィ文字も使用されています。
コーラン
コーランとはイスラム教の聖典のことです「読むべきもの」と言う意味で、声に出して読むのが正しい読み方です。
アラビア語で書かれたコーランは様々な韻をふんでいて、独特なリズムを持ち大きな声で朗々と読み上げる止まるで音楽のように美しく響くと言われています。
現在も早朝にモスクからコーランが鳴り響いていることがあります。
イスラム教の大きな特徴となっています。
ババ・ニュニャ 又はプラナカン
マラッカやペナン、シンガポールで知られるババ・ニョニャ
15世紀頃ビジネスチャンスを求めてやってきた中国人男性と地元の女性の子孫を表します。
彼らは流ちょうなマレー語を話し、文化や食生活にもマレースタイルを取り入れたが、冠婚葬祭は中国の風習を守りました。
中国系ならではの努力と商才で財を成し、女性は根気と女性らしさを養うため、ビーズ刺繍やニョニャ料理を学びました。
ニョニャウエアとして有名な陶器はパステルカラーでぼたんやほうおうが描かれています。
女性はクバヤと言うブラウスとバティックサロンと共に身につけています。
最後に
今回は、「【海外-マレーシア】マレーシアの歴史4 Malay Kingdoms(マレーシア王国)」をシェアしました。
引き続き報告していきますのでよろしくお願いします。
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